ホラクラシー経営の実践-ダイヤモンドメディア武井社長に聴く Vol.4「フラットな組織における教育のありかた」


「脱ピラミッド型組織のチームとその働き方」について、ダイヤモンドメディア株式会社 代表取締役 武井浩三さんにお話を伺いました。
(コメンテーター:矢萩大輔 /聞き手:畑中義雄)

”普通の組織”で言うと、マネージャーや管理職、人事部門など、リーダーを中心に教育したり新人を育成したりということをやりながら組織を高めていきます。
会社としては、研修の仕組みをつくったり、人事制度をつくったり、評価だけではなく育成や教育もサポートしていくという絵があると思います。
そもそもこれからの”脱ピラミッド型組織”においては、誰が育成するのか。
私のイメージの中では、これまでは人事部門が場をつくって支援していく、という形だったのですが、そういう教育や育成をどんな形でやっていくべきなのか。武井社長にお伺いしました。

武井:うちの会社でいうと、マネジャーとかリーダーとか部長や課長がないのですけれども、リーダーがいないけれどもリーダーシップはあるのではないかと思いますし、マネジャーはいないけれどもマネジメントは効いています。同じように教育という観点も、会社があらかじめ「君たちにはこう成長してほしい」というものを持っていないのですけれども、必要に応じてOJTみたいな形だったりスポンサーシップ的に面倒を見る人がいます。

あと、勝手にこれも出てきたのですけれども、最近、社内で勉強会みたいなのを週に2回ぐらいやっていて、それは部署を横断しています。例えば、きょうやっていたのは管理部門のコーポレート部門の人間が新しい人とか若い人向けに管理会計とか予実管理みたいなお金の考え方の時間を取っていました。

あとは、部署が分かれると隣のサービスが何をやっているのかはあまり分からなかったりするので、お互いに勉強会を開いてやっていたりというのがあります。

自然発生的に生まれた勉強会は続くのです。必然性を感じるので参加者がすごく楽しそうです。でも、僕らが昔に絶対これは勉強をやったほうがいいとか、新しいものは僕も勉強するので、例えば不動産業界の知識とかは僕が新しいものを得てくるので、それをみんなに伝えたいという僕のパッションで勉強会をやろうと言うと人が集まらない。

畑中:社長が言っても集まらない。

矢萩:同じだね。

武井:うちの会社は、会議に参加する、しないも自由にしてあって、それが実は結構いいのではないかと最近思っています。というのが、必要性を感じない会議には人が集まらないので、この会議は要らないのではないかと気付けるのです。しようがなく参加して形骸化してしまっているものが隠れないというか、分かってしまうので、だんだん人が減ってきたとか、みんなが遅刻し始めるとか、まさかこれはもう要らなくなったのかなというような。

そういうのは、この会議を続けるかどうするかという話が出て、もう要らないかもねと言って定例会議がなくなったり、別の会議として生まれ変わろうかとか、30分も要らないから15分ぐらいでいいのではないかとか、毎日ではなくて週2日でいいのではないかと、その場その場でどんどん変わっているので、僕も分からないというのが実際です。

畑中:マネジャーの話から会議の話になりましたけれども、どうですか。

矢萩:現場主義になってくるし、人事が教育方針を立ててどうこうというのはもう難しいかなと思います。マネジャーが、部下の教育からモチベーションのところから、そういったものをしっかりとマネジメントしていく時代になってくるのかなというのはあります。人事のせいや社長のせいというような教育をしていなかったせいだというのはないです。そこは、まず一つ思います。

それとノーレーティングの話が先ほどあったのですけれども、スタックランキングにしていると、どうしてもCとかDとかになるし、足の引っ張り合いになるし、そういったところからは教え合う文化が生まれてこないと思うのです。そういった意味でも、ここはホラクラシーとも関係してくるのかと思うのですけれども、そういったような文化をつくるのであれば、会社によりけりだけれども、評価してランキングをする以上にノーレーティングのほうに切り替えていくのはそういった点から見ても効果が高いのは私自身も思っています。

あとは、フィードバックとコーチングの違いというか、フィードバックしてその人を評価して賃金分配に使うとなってくると、これは過去のもので後ろ向きになってしまうと思うのだけれども、月次の中でも2カ月に1回でも、コーチングという場を持っていたりするのは未来の話になってくるし、そういった点でもフィードバックとコーチングを使い分けていくのは大切なのではないかと思います。

畑中:先ほどのマネジャーの話に戻ってしまうと、マネジメントができているということは自然発生的になんとなくマネジャーらしい人がいるということですか。

武井:そうです。リーダー的存在がいたりします。

畑中:任命するわけではないのですね。

武井:権力とか地位とかではなくて、影響力とか能力の話です。フラットはフラットなの
ですけれども、能力にはピラミッドはあるではないですか。めちゃくちゃ優秀な人とあまり難しいことはできない人。でも根性はあるとか。

われわれはいろいろなことを試してきましたけれども、他人の成長は全然関与できないというか、限界がすぐにある。情報は伝えられるけれども、その人がそれを吸収できるかどうかは相手次第ということは相手の成長をコントロールできないので、コントロールできないものはしようとしないで手放してしまおうという感じで関わり合っています。

でも、この辺が給料の仕組みともつながるのですけれども、仲間に成長してもらわないと自分の給料が減るわけです。だから、相手のためでもあり、自分のためでもあり、会社のためでもあり、お客さんのためでもありという、その辺の利害が全部一致しているというのが重要だと思っています。その利害関係を誰か一人が制度設計して利害を調整するのが難しくなっていると思うのです。

マーケットや業界とか、企業もそうですけれども、昔みたいにずっと無限に成長し続ける環境下ではないですし、ITの業界でもそうですけれども、逆に規模を大きくしなくても会社の成長はできたりします。そう考えていくと、一人が因数分解的にキャリアパスを描いたりするのは。

というか、教育自体が、Googleで検索したら何でも出てくる時代ですから、先輩のほうが詳しいということもないです。ということは、それぞれが貢献し合えるものをマーケットプレイスみたいにわーっと出して、相互関係的にお互いの成長を促していくとか。必要があれば取りに行きますし。その勉強会も参加自由なので、多いときもあれば少ないときもあれば。あればと言っていますけれども、僕は一回も参加したことないのです。呼ばれませんし。

畑中:リーダーとかマネジャーが影響力で自然となっていくというのは、影響力という言葉は、なるほどなと。マネジャーは自然発生的にそういうふうにして生まれるというのはあるのかなと思ったのですけれども、どうしても明確になったリーダーとかがいない場合は秩序が乱れないのかという疑問はすごくあるのです。秩序とかはいかがですか?

武井:たまにカオスになる場合もあります。どうするか、どうするかというような。でも、そういうのはひたすら放っておきます。もし、例えばですけれども、何かのプロジェクトで「俺がやる」と言う人が出てこなくて立ち消えたとしたら、われわれの判断ではそれは必要ないから消えたと捉えるし、今はそれはうちの会社ではできないと捉えて、なくなることもよしとする。

頓挫はウェルカムという感じで、達成するとか実現させることをそもそもよしとしていないというか、それすらも必然性に任せるので、必要があれば命令しなくてもみんなやるというイメージでやっています。

畑中:もしかしたら組織開発の段階の話なのかなという気もするのですけれども、自然と組織が開発されてレベルが上がっていく過程で誰かマネジャーが出てきたり。いかがですか?チームとしてどう成り立っているのか、リーダーがどうなのかという。

矢萩:うちもそうだけれども、仕事があって、その仕事がうまくいかないという話になって、マネジャークラスの人がこれを何とかして形にしたいのだと言って、このままだとどうしようもないという話が出てくるのだけれども、最近、自分が言っているのも、それは今のうちの実力なのだから仕方ないのではないかという話で終わらせてしまうのはありますよね。

それでもどうしてもやりたければ何とかする。それをやりたい人が何とかしていくだろうし、そこに賛同する人がいなければそれがうちの組織だし、そのマネジャーさんの力です。そこは仕方ないところがあって、そういうふうに悩みながら組織とかチームは強くなっていくのではないかとは最近思っているところではあります。

武井:素晴らしいですね。本当にそうですね。われわれも能力が高い低いということにそもそも良しあしを付けていないのですけれども、それは背の高い低いみたいなもので、個性というか。言い方はあれですけれども、能力が低い人にこれを達成しろと言って、できない。では、この人は駄目だという烙印を押すのはちょっと違うかなと。
まずは自分ができることを精いっぱい頑張る。これをやってみたいというのがあればチャレンジして、できたら結果として成長するでしょうし、うちはできなかったとしても別にいいではないかという感じで、全部のプロジェクトだったり、何だったら事業部もそう回っているので、そんな感じで新規事業が勝手に立ち上がってしまったりします。