ノマドワークをやってみた!  その② ウポポイ 民族共生象徴空間


(有)人事・労務の畑中です。9月30日(水)から、10月4日(日)までの5日間、北海道をレンタカーで移動しながら、「ノマドワーク」なるものをやってきました。2回目は立ち寄ったところで一番印象に残ったウポポイについて書いてみようと思います。

前回レポート→https://esr-j.com/nomado1/

ノマドワークということで、基本的には普段通り仕事をしようというつもりで準備をしていました。キャンピングカーでの移動は安心感があり、ネットさえつながっていれば訪問以外の仕事はすべてできました。さすがに町から遠く離れるとWi-Fiが入らない場所も多少ありましたが。とは言っても、せっかくノマドをしているので、まったくの業務的なことばかりしているのももったいないです。普段と違う環境だからこそできる仕事や、深く考えること・感じること、そんな仕事(?)にできるだけ多くの時間を当てられればなあと思っていました。

そういう意味で、3人で話し合いながら、行ってみたい場所にできるだけ行こうということになっていました。まあ、それが欲張りすぎて移動距離が長くなってしまい、移動距離としてはけっこうハードなものになってしまったのですが。

私がもっとも行ってみたかった場所が、今年7月にオープンした「ウポポイ 民族共生象徴空間」です。アイヌ文化と歴史が学べる施設で、千歳空港からは車で1時間くらいのところにあります。札幌に着いた翌日に見学に行く予定にしていたのですが、前日に調べてみるとなんと博物館の入場は予約制になっており、既にほぼ埋まっている状態でした。なんとか、最終日に朝一番の枠だけがあいており、ぎりぎりで予約をいれることができました。

入場すると、まず広場でアイヌの歓迎のおどりがありました。アイヌの言葉であいさつをして、歌、踊りがあったのですが、言葉はまったく日本語とは違います。東北の方言なども意味がわからないくらいのなまりがあることもありますが、それでも日本語という感じがします。しかしアイヌの言葉は全く別の言語に聞こえました。歌や踊りは決して派手なものではないのですが、自然と調和しているというか、全体の一体感がとても心地のいいものでした。見学者が多くいましたが、皆静かに聞き入っていました。普段「民族」ということをほとんど意識したことはないのですが、同じ日本に暮らしながら、やはり民族の違いはあるのだなと(知識としては知っていたのですが)実感しました。

ウポポイの中にある博物館は非常に見ごたえのあるものでした。展示の解説がアイヌの視点からの紹介になっており、その歴史は、侵略や迫害の連続だったことがわかります。このような歴史があったということが、アイヌの視点で紹介されているからこそ、心に刺さるものが多くありました。
そのような展示の中でも私がもっとも興味をもったのは、アイヌの神カムイと自然との考え方です。カムイは天(カント)から人間の世界に降りてきて、人間の前に現れるときは例えばクマの姿に身を変えます。そして、人間に肉や毛皮を与えます。ですから、クマはカムイの化身であり、その肉や毛皮に感謝して、捧げものをささげてカムイを神の世界に帰すということです。このようにして、カムイは善良な人間にはいろんなものを与えてくれ、そしてまた帰っていく。まさに自然の循環を神の仕業と考えて、共生していくことを大切にしています。

「共生」という言葉がとても自然に入ってきました。最近、多様な働き方とか、多様な価値観とか、そういったことを掲げて組織づくりをすることも多いです。でも、どうしても(特に私は法律を扱っているということもあるのかもしれませんが)どこかで区分や線を引きがちになってしまいます。本来の共生とか、多様性とかは、まさにこの絵のようにはっきりとした線などなく、それぞれがいろんな形をしながら行き来をしているものなのでしょう。全体としてはひとつで時間が流れているのであり、いい人間には同じようないい波長をもったカムイがいいタイミングで現れてくれるものなのでしょう。ちょっとスピリチュアルな感じですが、そのようなことを感じました。


さて、5日間のノマドワークを終えて東京に帰ってきた後、北海道出身の新入社員と話をしました。ウポポイやアイヌの話をしていたとき、アイヌの人たちについて「言葉も違うし、アイヌの人たちは姿でもわかる。『あ、アイヌの人だ』という感じです」ということを聞きました。ウポポイの博物館で「歴史の話」のように何となく感じていた私にとって、これが一番衝撃でした。彼女は決して差別的なニュアンスでそのように話したのではないです。ただ、今の時代でも、まだ完全なる共生ができていないのではと感じました。でも、もうすぐ本当の意味で共生できる時代がくるのではないかと思います。ウポポイで見た歓迎の踊りのメンバーはほとんどが若い方でした。その誇りに満ちた顔が印象的でした。多様性を受け入れつつ、いい融合が起きる時代になればいいなと思います。

おまけ: 1971年5月生まれの私としては、同年4月1日生まれの黒板純君が育った六郷に行かないわけにはいきません。おそらく、当時の黒板五郎よりも年上になった私は、「ゴローの帽子」を迷わず買いました。