SDGsを語る前にアダム・スミスの「道徳感情論」を読もう!


ここ最近、SDGsの話をさせていただいています。上記のタイトルは私自身が、SDGsを語る上で常に立ち返る哲学書。

(アダム・スミス)

日本を代表する社会経営学者の野中郁次郎氏は、先の見えない世の中の時代に大切なのは、ダーウィンの進化論で述べられている通り「適者生存」つまり、環境に果敢に働きかけ変化をして行くことが大切だという、イノベーションがキーになると。

詳しくは、野中郁次郎氏のSECIモデルを参照にしてほしいのだが、その出発点は、共感が大切なのだという。

今、私自身、本業のお金で回す経済とは別の共感を主体とした団体(一般社団法人日本ES開発協会)を10年以上前に立ち上げ活動していますが立ち上げた当初は、

矢萩さん随分余裕がありますね。
そんな暇があったらうちの仕事をしてくださいよ。

と揶揄されながら去っていったお客さんや、
お金にならないのに働くバカはいないと退会していったメンバーなどいろいろいましたが、今はやってきて十年前より、少しだけお金と共感の意味が体感でき、アダム・スミスや渋沢栄一がいう幸福とは何かを味わう日々を送ることが出来るようになって来たかなあと。

その時に出会った書籍が弊社の読書会「東洋哲学に学ぶ リーダーのための“人と組織の変容プロセス”」でも取り上げた渋沢栄一の道徳経済一致説、そして今回テーマに上げたアダム・スミスの「道徳感情論」なんです。
挫けそうになる思いをこの書物で何度助けてもらったことか。

今のデジタルの時代ほど共感が必要な時代はないと野中氏は言います。
私も同感です。
デジタルトランスフォーメーション(以下DX)の時代そして今回のコロナ禍で、テレワーク、デジタルが加速しているように思います。そんな中、職場は効率が上がるばかりか、逆に混乱を招いているとマスコミなどで報道されています。実は、デジタルへと移行を進めれば進めるほど組織や顧客との共感が大切になってくるのです。

野中氏はSECIモデルという彼独自のイノベーション経営を持続的に回しっていくプロセスを次のように述べています。
それのプロセスには表出化(S)、共同化(E),連結化(C)、内面化(I)の4つがあり、一番大切な、SECIモデルのスタートである表出化(S)つまり共感だけは、デジタルでは無理であり生身の心と体をもった人間にしかできない分野であるという。

私達も共感の大切さを日々の活動の中で実感しています。私達は、農と食で地域をつなぐをテーマに活動しているのですが今回のコロナ禍で大きくお客さんとの共感から活動が変化をしてきているのです。

今回このコロナ禍でいま活発に動いている活動は野菜の無人販売なのですが、このサービスは、お客さんからの一言から新たな活動が生まれました。お客さんから、コロナ禍の中で売り子さんが立って野菜を販売するよりも無人販売のほうが売れるんじゃないかしら?
という地域のお客さんの一言からメンバーがそれをやりたいと始まったのです。
903シティーファーム推進協議会) 

即座に実験、観察。
お客さんからの意見は本当です。どんどん商品が売れていく。

通常の3倍です。

そのお客さんはそれからというもの毎週ここで野菜を買ってくれるのです。
私達は、メンバーに私達の団体には上司も部下もいない、そしてお客さんもいない、いるのは仲間だけだと言っています。
今回のお客さんはまさにお客さんが共感を通して私達の仲間になってくれたのです。
そこには、このときメンバーが
そうか!なるほど!

とお客さんの一言に共感するかどうか?まさに現場にいる本人の心の声、感性から私達の新たなビジネスモデルを変えてみようというお客さんとの交流から始まったのです。

アダム・スミスはこの共感こそが大切だといいます。
共感は、社会とのつながり(交流)です。人間には他人の悲しみや喜びを自分の事のように思う元来の性質がある。そして、近年ではそれは、科学的にもミラーニューロンとして証明されてきています。
ただそのミラーニューロンは、心穏やかでないと心の声=内なる声は聞こえてこないというのです。

アダム・スミスの道徳感情論では、
共感が作動する条件として次のように述べています。

1つは、健康であること
2つ目は返せないような借金のないこと
そして3つ目が、内なる声に正直であること

この3つです。そして、この3つこそが心穏やかな条件でありアダム・スミスの考える幸福論なのです。

確かに、体を壊した状態では、どんなに裕福になっても幸せな気分にはなれません。また、借金に追われている社長さんは一緒にいてもどこか上の空で一緒にいても楽しくありません。

そして、3つ目こそがまさに身近な私自身も反省すべき条件の一つ。
まさに十年前までの私の状態。
目先のお金になりそうな仕事に手をつけたばかりにその仕事の意味を見いだせずに疲弊していく。まったく共感しないお客さんの仕事を無理にお金のためだからと言い聞かせてやってはみたもののストレスを抱えてしまって自分自身にもメンバーにも迷惑をかけてしまったりといった具合です。

さて、このアダム・スミスの幸福論と経済はどのように結びつくのかと思うのですが、それは彼の著書、こちらの方が有名ですね、「国富論」で述べています。経済と道徳は対立するものでなく道徳が前提こその経済が社会を幸せにする理想の状態だといいます。
アダム・スミスが述べています。
失業、貧困は人の心を貧しくします。仕事がなく貧しい状態では幸福感は得られないのです。
社会全体が幸福になるためには経済をまわし、仕事を作り出すことが大切ですと。

しかし、必要以上のお金はいりません。それは、3番目の条件、お金に執着するあまり以前の私のように心の平静さを失ってまでお金を稼いでも幸せにはなれません。社会全体においても社会の秩序を壊すような経済発展は悪です。
社会の幸福を阻害するような貧困や失業を減らし心穏やかな社会の為の経済発展こそが理想だとアダム・スミスは述べているのです。

これってSDGsですよね。つまり、お金を稼ぐにもフェアプレイ、ルールが必要なのです。
フェアプレイのもと経済を発展させていこう。つまり道徳=規範です。
世界標準の規範なのです。

共感、道徳は人とのつながりで育ちます。健全な経済環境のなかで仕事を生み出し働くことで、人は、つながりのなかで社会性を身に着けながら人間として成長していきます。
アダム・スミスは、賢人と軽薄な人と2通りで分けていますが人間には誰しも両方の顔を持っているといいます。どちらの顔が出るかは、環境なのだと。つまり、エゴまるだしの社会や孤独な環境では人は成長して行かないのです。

SDGsは、まさに250年前にアダム・スミスが道徳感情論で唱えた旧くて新しい経済により健全な人間性の成長を促すフェアプレイな経済活動を行うためのルールなのだと考えられるのではないでしょうか?

お金への依存を減らしながら自律した人間性を磨いていく、これからの経済のあるべき姿がここにあるのではないでしょうか?